2021年の短歌まとめ

今年は例年とは趣向を変えて、Twitterに投稿(垂れ流し)していた一首評のまとめにしたいと思います。
改めて読みかえしてみると変なことやわかりにくいことを言ってる部分も多いので、適宜補足しつつという感じで。
こんなことするならはじめからブログに書けよという気もしつつ、個人的にはやっぱりTwitterがいちばん書きやすいというか、思考が捗るので、こういう形になります。



【補足】永井さんの作風に関しては、よく「あるある感」みたいな評され方をしているのを見る気がする(ex:「歌壇」2022.1月号 大井学「ことばの鮮度管理」)のだけど、個人的にはそうでもないよなあというか、「いやいや、そんなことしてる(考えてる)の永井さんくらいですよ」というような気持ちになる歌もけっこう多い気がしていて、確かにあるあるネタ的な文脈で提示されているのかもしれないけど、それはもう永井さん固有のパーソナリティが前提の面白さであって、「あるある」の線でまとめる人はそういう「変な歌」を意図してか無意識にかわからないけど捨象してしまっているのではと思うことがある。

以下、しばらく第3回笹井賞の感想が続きます。



【補足】ぜんぜん関係ない話で、たまたまさいきん小池光の『街角の事物たち』(1991 五柳書院)を読んだのだけど、その中の「リズム考」という一節がめちゃくちゃ面白くて、面白いというか、自分が前々から漠然と考えててTwitterに書いたり「現代詩手帖」の10月号に「学習について」と題して寄稿した文章にも書いたりした、短歌定型というか"「短歌らしさ」の本質"(by小池光)について、ほとんど同じようなことがより具体的に細かく書かれていて、すごく参考になったし、やっぱり自分が考える程度のことは先人がだいたい考えているよねとも思ったのだけど、その小池光「リズム考」によると、こういう3の句7音は「未だ成功例を知らない。」とのこと。『街角の事物たち』から30年の時を経て、短歌定型というものも当然変容してきているのだと思う。










【補足】8月に久石さんの歌集『サウンドスケープに飛び乗って』のオンライン批評会があり、パネリストを務めさせていただいた。その中でも久石さんの韻律観みたいな部分についてけっこう話ができたので個人的にはよかった気がしている。


【補足】5ツイート目の「120ページ」は「127ページ」の誤り。『サワーマッシュ』の刊行は間違いなく今年最良の出来事のうちのひとつだと思う。

地上絵

地上絵

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【補足】2ツイート目「今日のトークイベント」というのは、6月27日に神保町ブックセンターで開催された谷川さんと平岡さんのトークイベント「二冊の歌集の宇宙遊泳」のことで、私はオンラインで視聴していた。谷川さんと平岡さんがお互いの歌集について言及していくスタイルで面白かった。


【補足】おそらく今年書いた中でいちばん怪文書じみた一首評なのだけど、4ツイート目の「あの音楽」は以下リンクものをイメージしていた。これがBGMとして一首の中でえんえんループし続けていることのやばさ。
www.youtube.com






【補足】3ツイート目の「結句と初句はつながっている」理論は先に挙げた瀬口さんの歌の読みにも通じてくる話(というかこれをちゃんと言わないから怪文書チックになっていると思う)。












【補足】「羽根と根」の10号に「青春はいちどだけ」というタイトルの散文を寄稿させていただいた。内容的には、そもそも"同人"ってなんなんだろう、みたいなことを考えていたら必要以上に感傷的になってしまったような感じ。「場」の意義と刹那主義の対立、そしてその中で続けることの難しさ。











いかがでしたか?


個人的には、まとめながら「これ、ほとんどトゥギャッターでよかったんじゃね?」と思いました。
あと特に後半、もうちょっと簡潔にものを書けないのかと思います。
Twitterで一首評した短歌は上に引いた以外にもけっこうあって(引いたのは3分の1くらい)、引かなかった歌も含めて、どれも好きな歌でした。


それでは皆様よいお年をお過ごしください。