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抒情の方法論

2020年の短歌まとめ

今年は本当に例年になく多忙で、去年に輪をかけて薄い内容になると思いますが、個人的な振り返りも兼ねて、やっていきたいと思います。




まず、私事ですが、昨年末に第二回笹井宏之賞大賞というものをいただきまして、結果として今年の夏に歌集を上梓しました。
www.kankanbou.com
栞文を笹井賞選考委員の皆様からいただいたほか、装画を漫画家の川勝徳重さん*1に描いていただきました。
最近やっと装画の季節感に近づいてきて、よりいっそういい感じになっています。
ほか、歌集の刊行にあたってお力をいただいたすべての皆様に、この場をつかって改めて感謝申し上げます。


また、初版本については、内容に誤りがありましたため、訂正済みの第二版との交換を実施しています。すでに交換に応じてくださった皆様には、心より御礼申し上げます。(第二版には、帯表1右下および帯背表紙下部に「第二版」の表記があります。)
初版本をご購入された方につきましては、お手数をおかけしまして申し訳ございませんが、回収および交換にご理解ご協力のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
www.kankanbou.com


以下、気になった短歌の感想です。


悪友がくれたオレンジ色のガム一生分噛みホームで捨てる
/榊原紘『悪友』(書肆侃侃房 2020.8.4)

所収の「悪友」という連作は第二回笹井賞を僕の「スイミング・スクール」という連作と同時受賞した作品なのだけど、ほんとうに真逆みたいな作品が並んだような印象を受けて、個人的にはとても面白かった。
個人的に思う「悪友」の美点は、なんといっても、語り手から見た「悪友」なる人物のこと、あるいはその関係を、いろいろな角度、観点から述べているにも関わらず、「悪友」なる人物の像が全く浮かんでこないところではないかと思う。
ふつう、短歌の連作(あるいは主題制作)における方法論では、同じテーマについて複数首の短歌を積み上げていく中で、それらの歌たちによって総合的に結ばれるひとつの焦点があると思うのだけど、「悪友」の場合、ひとりの他者と語り手との関係を五十首かけて描きながら、一首一首の歌がもたらすイメージは拡散してしまい、最終的に「悪友」のすがたは立ち現れてこない。これは逆説的には、語られる対象としての「悪友」は、連作における焦点ではなかった、ということでもある。
でも、他者とは本来そういうものなのでは、という気もしてくるというか、他者とは本来「わかりえない」ものではないかということに思い至る。むしろ僕たちが任意の他者をこれこれこういう人物だ、というふうに一種のキャラ的な枠に落としこんでしまったり、そういう認識・消費の枠組みを他者とのかかわりの中で求めてしまうことのほうが、はるかに不誠実なのではないか。「悪友」における「悪友」は、そういう「キャラ」概念を越えていて、予定調和を拒絶する。そこがすごく良いと思う。


ニコニコしたいはニコニコなんかできねぇよっていうときそこでニコニコしたい

/山本まとも「アンガーマネジメンターまとも」(「かばん」2020.4)
※2020.11.31 23:07追記

逆に、キャラ読みを強化していく方向で、際立ったのが「アンガーマネジメンターまとも」だと思う。
短歌は一人称文学だというときに、ある作品の良さについて、テクストとしての短歌の良さなのか作者としての「歌人」のキャラの良さなのかというのは明確な峻別が難しいと思うのだけど、まともさんの場合ははっきりとキャラの良さだと言いきれる気がする。語り手のキャラクター像ありきで面白がれる、そういう方向に振りきっているのがすごくいいと思う。
重要なのは、そのキャラクター像が何か嘘くさいとか、盛られてるとか感じないところで、どこまでも本気で等身大なのだというのが伝わってくるということだ。でも、生活者としての(まともさんの本名)さんと、歌人山本まともは一緒ではないわけで、そのへんのバランス感覚がいいよなあと思ったりする。
テーマとしての「アンガーマネジメント」というのは、感情労働が求められる現代社会における、一種の要求スキルなのだと思うのだけど、それにあくまで愚直に取り組む主体、というところで、単なる自己戯画化にとどまらない、切実な面白さがあると思う。


月がひかってる月がひかっているチャンスを棒に振るように生きて
/谷川由里子「ドゥ・ドゥ・ドゥ」(「うたとポルスカ」2020.1.24)
utatopolska.com

今年の出色はなんといっても谷川さんのこれだと思う。
谷川さんの短歌は基本谷川さんの声で頭の中で再生されてしまうのだけど、これが谷川さんの文体のせいなのか、谷川さん個人と面識があるからなのかわからない(おそらくどっちもある)のだけど、この「ドゥ・ドゥ・ドゥ」はそれがとにかくすごかった。
ひとくちに文語/口語といっても、実際は位相はもっと複雑で、また現代語における書き言葉は言文一致体がベースにあるので、純粋に書き言葉と話し言葉の関係ともなると、単純な二項対立に落としこむことはおよそ不可能だと思うのだけど、現時点で最もシンプルかつ自然に「話し言葉」としての口語体になっているのは、おそらく谷川さんの文体なのだと思う。
特に「チャンスを棒に振るように」の「ように」の軽妙さというか空振り感と最後の「生きて」の不思議と真剣というかリアルな感じが嫌味なく同時にスッと入ってくるのは、やっぱりこれが谷川さんの文体だからだとしか言いようがない気がする。


雰囲気イケメンって別に悪いことじゃないでしょう、そして角度の変わるクレーン

/阿波野巧也『ビギナーズラック』(左右社 2020.7.30)

今年はとにかく第一歌集ラッシュだったので、まだ読めていない歌集も多いのだけど、後に2020年という年を短歌の文脈で想起するときには、「なんかやたら第一歌集が出た年だったね」という思いだされ方がされるのではないかと思う。個人的にも、2020年上梓組の皆さんには勝手に同期的な親近感を覚えている。皆さん各自のフィールドでどうか達者で短歌を続けてほしい。
その中でも『ビギナーズラック』に言及することには特に深い理由はないのだけど、口語短歌における韻律感みたいなものが更新されつつあるよね、ということが特に感じられる歌集だと思う。
「雰囲気イケメンって/別に悪いことじゃ/ないでしょう」はきっと5~10年ぐらい前までだったら「大破調」だったと思うのだけど、今はこういう韻律が違和感なく「短歌っぽさ」のレベルでさらっと読める、という作者/読者層がけっこう厚くなってきているような実感がある。解説*2斉藤斎藤さんがこの歌を引いて(直接この歌への言及なのかは確証がないけど)「早口になる」と述べているのだけど、これは字余りとしての「大破調」ベースの読みだ。僕の漠然とした感覚では、これは破調というよりも、(特に初句の)韻律そのものが拡張されているとうか、べつにそんなに早口に感じることもなく、平明な調子で読んでいいんじゃないかという感覚がある。


ちんちんとカシオペア座の両方を見ることのできる体勢でした

/藤田描『ちんちん短歌』(ちんちん短歌出版世界 2020.11.22)

文フリの短歌島が知り合い祭りみたいな感じになってしまって久しいのだけど、この『ちんちん短歌』は久しぶりに文フリという場の本質を強く感じることができて、とても良かった。
11月の東京文フリが開催されたことは、今にして思えば奇跡のようなものだったのではないかと思うのだけど、その奇跡のおかげで(それと平出奔さんが教えてくれたおかげで)、手にすることのできた書物もあった。
歌会にしてもそうだけど、zoomとかで代替不可能な部分はどうしてもあるというか、結局はリアルな場でしか出会えないものとかわからないこととかがいっぱいあるよなと強く思った一年だったと思う。
人間の営みというのはそう簡単には変わらない。ニューノーマルなんてものもどうしてもフレーズありきの机上の空論でしかないように思えてしまう。


まだ更新するかもしれないですが、とりあえずそばを茹でるので、ここまでで公開したいと思います。
皆様よいお年をお過ごしください。

*1:トーチwebに掲載されている「野豚物語」という漫画がめちゃくちゃ良いので、ぜひともお読みください。 to-ti.in

*2:『ビギナーズラック』の斉藤さんの解説文はそれだけのために歌集を買う価値があります。