誤配と可能性

 稀風社の今後をめぐるカミハルさんとのお話については、ここで何か書いたり答えたり伝えたりとか、そういうことは特にやらないつもりで、別の機会にスカイプ通話とかでお話合いができればそれでいいかなと思う。少なくとも、全世界というのはさすがに大げさであるにしても、全日本語圏に対して公開する類の応酬ではないだろうと思う。いや、別に僕がこういう判断をすることに対して客観的な正しさなんて必要なくて、単に僕が自分の意見とか感情とかをオープンな状態で誰かにぶつけたりするのがすごく苦手で、恥ずかしくて、最初にそれをやったのはどっちだという話だけど、そういうことはなるべくクローズドな場でやりたいし、そこでの内容を公開するのもできればしたくない。そうしたほうがいいとか、そうあるべきとかそういう話ではなくて、単に僕がそうするのが嫌なのだ。


 ただ、それとは別に、上に挙げたカミハルさんの記事の中で、あの記事を読んだ人に対して、ちょっと誤解を解いておきたいなと思う点がひとつあったので、今回はそれについて書く。
 誤解を解いておきたいなと思う点というのは、ぼくのスタンスというか、志向を「不可能性」という言葉でカミハルさんが言い表していることで、これはちょっと、いや全然違うように僕には思われるというか、これについては何かコメントしておかないと、黙認したことになってしまうわけで、なんというかそれは癪だなと思った。


 おそらくカミハルさんは、ふたつのそれぞれ違った次元における「不可能性」を混同したまま同じ用語で語ってしまっている。それぞれをなんと呼べばいいのかよくわからないけど、仮に「モチーフとしての不可能性」、「表現態度としての不可能性」というふうに言い表しておけばいいかと思う。あるいは「テキストに帰属する不可能性」と「作者に帰属する不可能性」とも言いうるかもしれない。
 「モチーフとしての不可能性」というのは、僕の言葉ではこれは「どうしようもなさ」みたいなふうに捉えられるものなのだけど、確かに僕はある種の不毛さ、諦念、「どうしようもなさ」を詠んだり書いたり歌ったりしたい人間で、そういう意味では僕は「不可能性」の人間だろうと思う。「可能性」に対置される「不可能性」という言葉がそういったモチーフを言い表すのに最適なのかどうかは置いておくにしても*1、少なくとも大筋では解釈として間違っていないように感じる。


 もうひとつの「表現態度としての不可能性」、これに関しては自分でこういう用語を製造しておいて言うのも何だけれど、そもそも語義矛盾があるように思う。表現行為と呼ばれうるものも含めて、実現可能なおよそすべての行為は「可能」の範疇に入るわけで、その「可能性」の範囲はすべて事後的に定義される。だから、これはあたりまえのことだけれど、実現した行為はすべて「可能」だったわけで、「不可能」な行為というものを未来方向に志向することもまた原理的に困難だ。だからそもそも「表現態度としての不可能性」というスタンスを取ることは不可能なのだ。僕だって短歌という枠組みを通じて可能性の範囲内のことを実現したいと思っているし、それ以外のことはできないだろう。
 実を言うとカミハルさんも、元記事の中で表現行為の態度としての「不可能性」のほうには全く言及していない。端的に言うと、カミハルさんは自らの表現行為の態度が「可能なものとその実現」というものであるとしていて、それに対して僕の関心が「不可避な現実」に向けられていると言っている。
 それらふたつの断定は個別には間違っていないのかもしれないけれど、今まで述べてきたように「表現行為の態度」と「モチーフへの関心」はそれぞれまったく別の次元の概念であって、本来それらは比較したり対比したりするのが不可能なものだ。表現における「誰に」あるいは「どうやって」と、「何を」というのは全く無関係なものでもないにせよ、何か同一の物差しに当てはめて比較できるものでないのは明らかだ。元記事がなまじ一見もっともらしい文体と構成であるぶん、こういうくだらないレトリックを弄するのはやめてほしいと思う。


 そのうえで、一応僕の思う僕自身の表現態度のようなものについても考えてみたい。なぜこのような誤解が生じたかについてもそれに少なからず関係がありそうな気がする。
 上でも述べたように、僕は基本的に「可能性」の範囲内のことを実現したいと思っているし、それ以外のことは「不可能」(あたりまえだ)であるとも感じている。それについてはカミハルさんと同じだと思うし、ほんとうにびっくりするくらいあたりまえの話なのでこのことはもう書かない。一方でカミハルさんが僕との間で何らかの「方向性の違い」を感じているとするのであれば、それは当然可能性の範囲内におけるベクトルの向きの違いなのだろう。それについては確かに少なからず心当たりがある。


 カミハルさんの方向性というか表現態度は、基本的には「届くべき人に届けたい」というスタンスであって、その状態のことを仮に「適配」と呼びたい。ある特定の言葉、一首の短歌、あるいは一冊の本という郵便が、予め想定された宛名どおりの相手にきちんと届いている状態だ。これは「言葉」という概念が我々の生存上の必要に応じて誕生して以来ずっと、普遍的に「言葉」に課され続けてきた役割であって、正しさでもあると思う。ものすごく単純化すると、Aさんに向かって後ろから「Aさん!」と呼びかけて、Aさんがこっちを振り向くという一連のプロセスが、言葉における「適配」の構図なのだろう。これはどんなに文章が長くなっても、どんな媒体を介在させようとも、宛先の人間がどんなに増えようとも、それが言葉である限り変わらない正しさの構図であるはずだ。


 しかし一方で僕は、上に述べたような「適配」の構図の、ある種の予定調和のような部分を好きではない。「適配」のプロセスを通じて人間同士の関係性が変化したりすることは無いだろうし、関係性を変えようという意思が無いというのは、世界を拡げる気が無いということでもあるように思われる。新たな出会いを拒絶しているし、衝撃を避けている。僕ははっきり言ってそんな韻文を読みたくない。他者を傷つけまいとして詩を紡ぐ意味がわからない。ほんとうにわからない。
 また、そういう優しさのようなものが、裏側では「そうでない人たち」をきわめて残酷なやり口で排除していることも知っている。


 それに対して僕が実現しようとしている状態のことを仮に「適配」に対する「誤配」としたい。「誤配」というのは文字通り宛先通りに言葉が届いていない状態だ。もちろんこれもまた「可能性」の範疇にあって、日常生活の中でもあたりまえのように言葉や情報の「誤配」は発生している*2。ただ、それが広く望まれていたかどうかの違いがあるに過ぎない。例えば8本の記事が掲載されている一冊の雑誌があったとして、読者にとって読みたいと思っていた記事が8本中2本であったとすれば、残りの6本の記事はその読者に対して「誤配」されたということになるだろう。もちろんその残り6本の記事も、それぞれ別の読者からは求められて存在しているとするならば、その別の読者の目に触れるとき、それは「適配」状態になる。このように「誤配」と「適配」の関係は固定的でなくめまぐるしく流動しうるものでもある。また、不特定多数に向けてばら撒かれる怪文書などのように、ほんの僅かな届くべき宛先へ「適配」させるべく、数撃ちゃ当たる式に膨大な数の「誤配」を起こしたりする例もある。
 要するに、僕は自分の短歌に触れた人のことを傷つけたい。見たくないものを突き付けたいし、知りたくなかったことを知らせたい。そのためにはモチーフに共感しない人達まで「誤配」される必要があるし、そのための方法はちゃんと考えてゆきたい。


 これはやや余談になるものの、「誤配」を引き起こすための有効な手段として、これまた独自の用語になってしまうのだけど、「混載」という手法があると思う。わかりやすいのは上に述べた雑誌の例だ。僕にとって稀風社というのはまず第一には楽しい遊びであったわけだけど、同時にそうした「誤配」を期待できるものにもなり得るかもしれないと思っていた。カミハルさんの短歌を読みたいはず人が、同時に僕の短歌にも触れるのであるとするならば、それは既に「誤配」で、そのとき世界は痛みとともに拡張されている。これは混載されているもの同士のベクトルが異なる方向を向いていればいるほど有効なはずだ。少なくとも理論上は。
 だから、悪い言葉でいえば僕はカミハルさんを利用しようとしていたとも言えるわけで、そのあたりの誹りは免れない気がする。しかし同時に、稀風社は解散するどころかもっと広がっていけばいいとすら思っているし、解散したとしてもそういうやり方はひとつの有効な手段として今後も見据えてゆきたいと思っている。



*1:ここで僕が留保をするのは、「どうしもうもなさ」の中には、「可能性」の範疇にあるもの、例えば「できてしまうこと」のようなタイプのものも含まれていて、この場合「できてしまう」の部分よりも「できてしまう」ことのほうが重要で、「可能かどうか」という軸は必ずしも抒情の本質を得てはいないのではないかという疑念が残るから。

*2:ツイッターとかの炎上なんて「誤配」の最たるものだろう。

iPhoneをなくしたひとの話

 22年も自分をやっていると、だいたい自分という人間が何をやるのかとか何をやらかすのかとかがだいたいわかってきて、正直アイフォーンをなくしたぐらいではあまりパニックになったりひどく落ち込んだりはしなかった。いつかそういうことをやるだろうと思っていたし、実際僕は22年の人生の間にいろんなものを落としたり失くしたり置き忘れたりしてきている。だからそういう歴史の延長線上にある出来事としてすんなりと「アイフォーンをなくした」という事実を受け入れることができたし、自分自身への失望がまたひとつ積み重なっただけだった。そういう予感があったというわけではないけど、事後的に「ああ、自分ならやりかねないな」というふうに納得できる範疇のこととして、頭の中ではわりとあっけなく処理されていった。


 こういうことは、仮に分かっていたからといって本質的な意味での対策は取りようがない。突き詰めていくと注意力の問題と言うか認識の問題と言うか、根本的には脳みその中の問題になってしまうと思うし、脳みそ自体に問題がある以上、それを同一の脳みそによって解決することは難しい。よく「これこれこういう意識を持つべきだった」みたいな反省の弁を聞いたりするけれど、「意識を持つ」ことを意識するというのは果たして可能なのか、そもそもそれは一体どういうことなのか、みたいなことをすごく思う。もちろんある程度はそういった認識の矯正も可能なんだろうけど、そういう無意識の領域の処理方法を強引に変えようとするのはかなりストレスフルなことで、多くの場合は割に合わないのではないかと思う。


 もちろん自覚を持つことで先回りして未然に食い止められている部分も、齢を重ねるごとに増えているのだと思うけれど、「未然に食い止めた」事故というのは当然可視化されないから、僕は年に数回のチョンボばかりを依然として強く認識することになる。小学生の頃なんかは週に2回は給食袋を持って行き忘れるか持ち帰り忘れるかしていたと思うし、体操服も忘れ、水着を忘れ、大切な紙をなくし、上靴を隠され、みたいなことが日常茶飯事だったような記憶があるし、それに比べたらかなり進歩しているはずなのだけど、そういう進歩にいったいどの程度の意味があるのかよくわからない。マイナスの幅を縮めたところで、マイナスであること自体は拭えていないし、拭いようがないんじゃないかという気がする。もちろんそのお蔭でなんとか社会生活を営めているのだけど、そのために無理がたたっている面はどうしてもあって、その割にべつに褒められるわけでもないし、むしろ叱責されるばかりだし、やっぱり努力を評価されないと僕も人間だしつらい。


 はっきり言って、僕がアイフォーンという常に携帯して持ち歩く類のものを、2年近くも紛失しなかっただけでむしろ奇跡で、というかそういうことにしておかないと身が持たない気がする。こんなことをいちいち気にしていたら比喩ではなく死んでしまう。死ぬにしたってせめてもっと重大なことに絶望して死にたい。


 あと、関係ない話としては、アイフォーンを紛失してからあきらめて買い替えるまでのおよそ3日半、開き直って自分だけ90年代の東京に暮らしてるつもりで生活してみたら、びっくりするくらい読書がはかどった。そりゃあ本も雑誌も売れたはずだと思った。結局のところ出版不況って要は可処分時間と可処分所得のシェア争いに負けたってだけの話なんだと思う。あと家事もはかどった。豊かさってなんなんだろうね。


 最後に、高円寺の西友のトイレでピンクのカバーのアイフォーン拾ったけど店にも警察にも届けなかったという人がもしいたら、今からでも遅くないから新幹線に轢かれろ。

ブログを書くまで寝ない実験 その2

 誰がなんと言おうとも、やっぱり詩と言うのは豊かさの産物なんだろうと僕は思っていて、かねがねそういうことを言い続けている。詩が豊かさの産物だと言うのは、まず第一に詩を作る側における現実としてあるのだろうけど、それ以上に、詩を享受する側にとってみても、詩というのは生存に切実に必要不可欠な栄養素などではなくて、必要なものがすべて満たされてはじめて受容されうるものなのだろうと思う。例えば恋とか青春とかそういうものが人を「詩人」にするみたいな話があるけれど、それは単に、「恋」とか「青春」みたいな概念自体が豊かさの産物であるということを意味しているだけだろう。


 まあでも、これに限ったことではないけれど、世にあふれる大体の発想とか考えは、すでに他の人達や昔の人たちによって言い尽くされている。だからそんな中であえて自分が文章を書く意味なんてないだろと僕は思ってしまうし、ブログだって続かない。「詩を作る側」における似たような話というかほとんど同じことを言っている話としては、わりと最近読んだ本*1の中で、石川不二子という歌人の文章が引用されていて、だからこれは孫引きになるわけだけど、曰く、

生活即歌、と誰が言おうと、歌はやはり余裕の産物である。生きることに追われていたら歌などできる筈はない。「けもの」は歌なんか作らない。生きるためだけに必死で生きている、そういう姿を純粋で美しい、と思うのもやはりよけいな思い込みなので、実際は陰惨というに近い。


引用元:『わが歌の秘密』(1979/村永大和編/不識書院)

という感じだ。石川不二子というひとの経歴はなかなかに異色で、詳細は知りたければググるなりなんなりしていただきたいのだけど、そりゃあこうも言いたくなるだろうなあという感じがする。この人のこの経歴に比べれば、僕なんかはまだよっぽど余裕のあるほうであるのに違いないと思う。


 また、石川不二子のこの文章があぶりだしているのは、短歌が余剰の産物に過ぎないということ以上に、「必死で生きている」というような物語を欲して、見出して、また紡いでいるのはいつだって余裕のある側の人間なんじゃないかという、ある種の倒錯を帯びた構図なのではないかというような気もする。黒人奴隷たちの労働歌であったところのブルースを発見して、そこに表現価値を見出して消費していったのは白人たちだった、とでも言うような、ある種の豊かさをめぐる不均衡が浮かび上がる。


 生活にいっぱいいっぱいで余裕がなくなると、かなり早い段階で切り捨てられるのが、「私」について慮ることなのではないかと思う。「私」というのは他者の他者性についてと言ってもいいかもしれないし、あるいはそのまま裏返して自己の唯一性についてとも言いうるだろう。簡単に言うと自分や他人がそれぞれ一回きりの生を生きていて、そしてみんな死ぬみたいな、そういうことについて考えることだ。朝の6時に家を出て夜の10時に帰ってきてそのまま倒れこむように寝るみたいな生活をしていると、そういうことについて考えることはたぶんできなくなる。


 詩の中でも、特に「私」と密接に関連づいてしまうことの多い短歌という詩形の場合は、「私」について考えるだけの余裕のがある人同士の間でしか流通しえないものである場合が多いのかもしれない。そういった詩の流通範囲というのは、社会の豊かさとか景気の良さとかにものすごくわかりやすく左右されるものだろうし、内外の豊かさに依存したその範囲を脱しようと思えば、詩は「私」を捨てなければならないはずだ。しかし、そうした「私」を捨てた詩というのが、詩であることを保ちうるのかどうか、僕にはうまくイメージできない。けれどもそうした豊かさとか脆弱な近代的自意識のようなものに依存した表現というのにはあまり価値の与えられない世の中にあって、おまえの「私」なんか邪魔なだけで興味ないんだよ、みたいなことを言われたときのための対策を、なんとか講じないといけない気がする。


 先週末に中野のタコシェに稀風社の歌集の委託販売を依頼しに行った(詳細)のだけど、やっぱり「正直歌集は全然売れないですよ」みたいなことを言われた*2。歌集が売れないことはよく知っているつもりだ。商業出版されているものでさえ、そのほとんど全てがそのへんの同人誌よりもはるかに少ない部数しか出ていない。届くべきところに届けばそれでいいと言うのかもしれないけど、何かを表現する人がそんなことを言ってしまっては、どうなんだろう。


 あたりまえだけれど絶望的なこととして、短歌を読むような人は短歌を好きなような人だけ、ということがあって、それは余裕云々とはまた別次元の問題なのだけど、インターネットや通販に言葉を載せれば言葉は空間の隔たりを越えてどこまでも届く的な物言いにはどこか白々しさを感じてしまう。空間や時間なんかよりも絶望的な隔たりは世の中にはもっといくらもある。

*1:この本自体はそんなに読む価値のあるものではなかった

*2:正直で好感が持てる

ブログを書くまで寝ない実験 その1

 今の部屋に越してきてもう4か月くらい経っていて、さすがに隣人が小太りなおじさんであることくらいは知っていたのだけど、今朝玄関のドアを開けて外へ出たらいきなり真横にそのおっさんが立っていたのでびっくりした。上は水色の半袖シャツ、下は短パンとパンツの境界線上にあるような、でもあれはやっぱりパンツだったんじゃないか、みたいな恰好だった。

 社会的な人間に見られるように常日頃から努力しているので、こういう緊急事態に遭遇しても僕はいたって冷静に「お、はようござい」みたいな健康的で文化的な最低限度の挨拶がちゃんとできていたと思う。

 そうしたらそのおじさんがいきなり「見ますか?」と言って何やら青っぽいような赤っぽいような黒っぽいようなよくわからないものを差し出してくるので、僕は思わず身構えると、おじさんはそれを顔に装着して、「ほら、」と言った。日蝕を見る用のぺらぺらのサングラス的なものだった。おじさんは日蝕を見ていた。

 ついさっきまでツイッターで日蝕がどうこうとか言ったり聞いたりしていたのに、なんだかツイッターのタイムラインと現実がリンクしているという実感があまり湧かなくて、ああそうか、現実でも日蝕やってるんだっけ、と思った。

 「もう半分くらい隠れてますよ」と言うので、僕も薄い雲越しの太陽を裸眼のまま見遣ったのだけど、存外に明るくてわりと普通な感じだったので「思ったよりも明るいんですね」と僕は応じた。おっさん相手とはいえ円滑で自然な世間話に成功した手ごたえを得た。

 結局そのおじさんからグラスを借りてちょっとだけ日蝕を見させてもらって、どうもありがとうございますと告げて、会社へ行った。金環日蝕の時間帯には電車に揺られていた。ちょっとは空いてるかなと期待していたのだけど、車内は普通に混んでいた。あのおじさんはちゃんと働いているのだろうかとか余計な心配をした。

 まあ日蝕のことはわりとどうでもよくて、隣人おじさんのこともほんとうに心の底からどうでもよくて、隣人が女児だったらよかったのにとか思うようなことも特になくて、あんまりそういう妄想設定とかを広げるのは得意でも好きでも無くて、でも隣人が女児だったらいいなあ。

 

 

ブログを書けないひとの話

 ブログを書けません。

 しかし、そもそもブログを書けないという言い方自体がおかしくて、ブログというのは書きたい人が書きたいことを書きたいように書くべき場所であって、書けないものを無理に書こうとする必要は全く無いはずです。書きたいもの、書くべきと自分が思うものを持っていないのに、形式としての「ブログ」を書くことを望むというのは、なんだかひどく奇怪な倒錯であるように思います。透明人間が服を着たがっているような、要するに順序が逆で、実態も本質もないのにガワのほうに拘るというのは、自意識めいた問題というか、対外的なイメージに拘るがゆえの問題なんだろうと思います。実際に書きたいことがあるかどうかは置いておいて、インターネット上の人格として「ブログ」を持っていたい。だから「ブログ」を作ってイメージに取り込みたいのだけれど、特に外に発信したことなんて何もないから、当然書けない。当初は無理をして記事を更新していても、すぐに放置状態になります。「書くために書く」ということ、それに限らず自己目的化した行為というのは長続きしません。インターネット上にはそういう自意識デブリのようなものが無数に散在していて、僕自身そういうものをいくつか作っては消してきました。
 ソーシャルネットワーク以前も以後も、インターネット上で独立の人格を獲得するには、「何か」を書き、そして公開しなければなりません。その「何か」は別にまとまった文章でなくてもよくて、写真でも音楽でもポエムでもブックマークコメントでもなんでもよいわけですが、兎にも角にも、前提となる「何か」、言いたいことや見られたいもの、漠然とした欲求と言ってもいいかもしれないものを持たずに、人格を手に入れるのはおそらく無理で、あるいはそもそもそうした「何か」無しに、人格を手に入れたいということはおそらく現在までのインターネットの中で、おそらくあまり想定されていないことだろうと思います。ソーシャルネットワーク以前と以後で、その「何か」欲求のハードルの高さがかなり変わったというのはあるだろうと思いますし、ハードルの低いほうのツイッターで、僕は長らく暮らしてきました。ブログを設けて長い文章を書き連ねるほどの「何か」はなくとも、「歯が痛い」とか「腰が痛い」程度の、即物的な「何か」ならいくらでも湧いてくるので助かっています。
 ともあれ、匿名基調の側のインターネットに於いては、「何か」を書くことなしには存在を許されないのです。この世界において、沈黙していることは存在していないことと同じなのです。この「何か」欲求と言うのは、自己顕示欲とも承認欲求とも呼びうるのかもしれないですが、それらのような手垢のついた言葉ではどうもうまく当てはまらないように感じるというか、リアルにそうした欲求の欠如に直面している人間としては、もっと根源的で根本的であるがゆえに漠然としている欲求なのではないかと思えてなりません。

 あるいは、「ブログを書けないひと」の類型として、インターネットにフロンティアを求めている、というのがあるのかなと思います。フロンティアをめざすのはいつだって、旧世界における負け組です。現実(リアル)とネットを峻別して、現実で人格を認められない人たちが、広大な未開拓地であるところのインターネット空間に希望を見出しているという構図で、残念ながらそうした大開拓時代というのは一部の成功例と数多の無言の屍を残して終わりつつあるわけですが、依然として現実側にはそういうフラストレーションとかルサンチマンを抱えている人たちが大勢いる以上、インターネットのフロンティアとしての魅力というのはそうそう薄れないだろうと思います。
 僕自身がそうなのですが、インターネット上の人格と現実の人格を切り離して捉える人、あるいは捉えてほしいという人の多くにとって、インターネットが主体性や人格を取り戻すためのフロンティアであるということ、あるいはフロンティアであったということは、なんとなくお分かりいただけると思います。僕はインターネット上でだいたい4年間くらい「すずちう」という統一人格?をさまざまなサービスの中で運用してきていて、4年間というのはそこそこな長さだろうと思うのですが、そのあいだずっと、この人格とリアルでの自分を接続させまいとして苦心してきました。リアルに接続させまいとなると、当然書いてはいけないことが増えてきます。この4年間というのは、ネット向けにも、あるいはリアル向けにも、それぞれ双方向に言えない秘密や嘘を積み上げて肥大化させていっただけの4年間だったのかもしれません。当初は書けていたけどだんだん書きづらくなってきたこととかも増えてきました。
 とはいえ、僕はこれだけの不便があっても、リアル社会とは別の人格をネットに構築することに拘って来ましたし、そのお蔭で手にした充足や幸福も少なからずあって、そうしたもろもろも含めた上での判断として、今日までずっとこの人格を存続させて来ています。僕の場合はもともと、リアルにそれほど深い人間関係は持っていなくて、それを切り捨てることにそれほどデメリットが無かったというのも大きいです。逆に不謹慎なこととか社会的にダメなこととか、ツイッターレベルでは言えることの幅はむしろリアルを切り捨てることで拡がったと言ってもいいと思います。
 僕にとってインターネットというのは、概ね開放的で快適な環境でした。どのあたりが開放的だったのかといえば、それはたぶん、対外的イメージを自分で主体的、選択的にコントロールできるという点でした。逆に言えば、リアル社会での僕はそれほどまでに他者の視線や他者が持つ僕のイメージを恐れていたということでもあると思います。僕の場合は、そうしたイメージの決定権を取り戻そうとしてインターネットに縋りました。そしてそれはおそらく、かなり内向きな動機でした。また、こういう動機を持ってしまうくらいですから、自己言及も苦手で、ネットですらも対外イメージを気にすることから離れることができていない状況なんだろうと思います。

 ブログを書けないという話に舞い戻ると、僕が伝えるべき「何か」を持っていないのは、おそらくインターネットに存在しようという動機の根本が、ひどく内向きで、外側に何かを発信しようというバイタリティには欠けていたという点がまずあり、その上リアルとの接触を避けると書けないことが多くなるという問題があるからで、自己言及にも拒否感があり、にもかかわらずイメージのガワとしての「ブログ」には憧れがある、という転倒した状況なんだと思います。
 いくつかのブログを読むと、率直にすごいなあと感じます。それらのどのブログにも、その人にしか書けないことが、その人にしか紡げない文章で書かれていて、そこにはどうしようもないほどの、その文章がそこにあることの必然性があって、僕はおそらくそういう必然性に憧れるのだと思います。必然性のある言葉を書きたい。必然性のある人格でありたい。

 しかし、無い袖は振れませんし、無い「何か」は発信できないのであって、結局のところ空虚な人間と言うのはどこへ行っても空虚な人間にしかなりえないんだなと思います。
 だから、このブログも開設してみたはいいのですが、次に更新されるとして、どんなことを書くのかは想像もつかないですし、ましてやこんな記事を書いてしまってはなおさらです。どうしよう。困った。