父が以前住んでましたと言いかけてやめて鍋へとなだれるうどん (短歌の感想 その3)

父が以前住んでましたと言いかけてやめて鍋へとなだれるうどん
中村美智 (『北大短歌 創刊号』より)

 4月14日の文学フリマで買った本をちまちま読み進めている。その中から一首。


 複数人で鍋を囲む座の光景が浮かぶ。「うどん」が鍋へと投入されるということは、その座も佳境に差し掛かっていると思われる。ふいに話題はどこかの街や地方のことに及び、そこに作中主体は「父が以前住んでました」と口を差し挟みかけて、でもやっぱり口に出すのをやめてしまう。複雑で膨大なコミュニケーションの網の目の中にあって、決して表出することのない、コミュニケーションの澱のような内的な事象が詠まれていて面白い。「住んでました」と丁寧語が用意されていることからして、その座には先輩後輩とか教師と教え子とか、既にフラットでない関係性(社会)があるのだろう。
 「父が以前住んでました」ということを結果的に言わないという選択がなぜ導き出されるかといえば、やはりそれはその事実を提示したところでそこからの話題の広がりに欠けるからだろう。単純に耳に入った何らかの地名から作中主体にとってはすぐさま連想されることであっても、その情報が今いる座にとってどんな意味があるのか、どういう効果を与えるのか、ということを口から出す前に一旦咀嚼したうえで、言わないことにしているのだ。こういうコミュニケーションへのメタ的な感覚というのを世の中の人たちがいったい何歳ぐらいで身に着けるのかよくわからないけれど(僕はすごく遅い方だったと思う)、作中主体の精神年齢のようなものを窺い知ることができる。
 座の全景を見渡せる一方で、そこから切り捨てられていく澱のような思考たちをすぐさま忘れ去ることができないというような、そういう過渡期のような時期はたぶん誰しもあるんじゃないだろうか。それは人が成長していく中ではきわめて短い一時期で、人の一生の中ではきわめてレアシーンとでもいうような瞬間が、うどんが鍋へとなだれ込む一瞬のイメージとともに切り出されている。


 また、口語体の短歌において、科白にあたる部分にカギカッコをつけるべきかとか、そういう短歌における記号の使い方全般の話として、この歌では“父が以前住んでました”がカギカッコで囲われていないことが効果的に作用していると思う。
 カギカッコで囲われた科白というのは、散文的というか、作中主体を経由していない、詠み手による直接的な情景描写、あるいは説明というふうに読まれてしまう。例えば、

「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」
穂村弘『シンジケート』より

とかが会話体の歌として有名だけれど、この歌の良し悪しはさておき、カギカッコがあることで、歌の外側にどうしても情景の観察者、あるいは創作者としての詠み手の存在が透けて見えてしまう。
 “父が以前住んでました”がカギカッコで囲われていないということは、それが実際に発話されていないということもあるけれど、それ以上に、「一度作中主体の内部に取り込まれてから、改めて想起されている」という読みにうまく導けていると思う。この歌全体が同時進行的な情景描写なのか、あるいは事後的な記憶の想起なのか、という違いは、この歌のニュアンスを大きく変えるだろうし、僕はこれを「想起」として読んだほうが味があっていいなと感じる。
 初句の字余りはそれほど気にならない。「言いかけて/やめて」で句を跨いでいるのは技巧的だし、「やめて鍋へとなだれるうどん」の下の句もすごくなめらかで気持ちがいい。

NoFuture,NoFutureと口ずさむ白いベースを売りにゆく道 (短歌の感想 その2)

NoFuture,NoFutureと口ずさむ白いベースを売りにゆく道
遠野サンフェイス『ビューティフルカーム』より

 遠野サンフェイスさんは主にツイッターtmblrなどで短歌を発表されていた(現在は休止中?)方で、私家版の写真歌集『ビューティフルカーム』は、単語カードの形態で2011年6月の文学フリマで頒布されていたもの。さらに作者の背景を遡れば下品短歌とかそういう文脈がいろいろ出て来るがここではその説明は省きたい。


 上に引用した歌は青春の歌だ。
 まず際立つのは「NoFuture,NoFuture」の引用の巧さで、これはむろんSEX PISTOLSの「No Future」なのだけれど、短歌全体の中で引用された歌が有機的に機能していてとても綺麗だと思う。さらにいうとこの「白いベース」はおそらくシド・ヴィシャスモデルのフェンダー・プレシジョンベースで、たぶんそんなに高いわけでもない、どこにでも売っているような楽器だ。そういうところまで含めて、とても端正で無駄のない、一首全体の中で強い必然性を持ち得ている引用だと言えるのではないか。その「白いベース」を売りに行く。要するにありふれた青春の、ありふれた終幕だ。
 けれども、「No Future」という詞とは裏腹に、青春という物語が幕を下ろしても、その先には茫漠とした人生の余白が続いていく。「白いベースを売りに行く道」はその茫漠とした余白へと連なる道で、作中主体はその終わりのない平坦な未来を目視しながらも、そこへと向かってただぼんやりと歩んでゆくしかない。そこには前向きな覚悟というよりも、受動的な諦念を強く感じる。口ずさまれる「NoFuture~」もまた、どこか物悲しい風景を象っている。

ねえ僕は夕映えによく似合うこの曲をいつまで歌うのでしょう
遠野サンフェイス『ビューティフルカーム』より

 思うに、青春というのはきっと、それを自覚した瞬間に終わってしまうようなものなんだろう。だからそこには常に特権性があって、ノスタルジーがある。
 
 

父といて父はるかなり春の夜のテレビに映る無人飛行機 (短歌の感想 その1)

父といて父はるかなり春の夜のテレビに映る無人飛行機
寺山修司未発表歌集 月蝕書簡』寺山修司(田中未知編)より

 これから読んだ短歌の感想をちょくちょくブログに書いていきたい。


 いきなり上に引用した歌ですが、寺山修司晩年の未発表作品。「父」というモチーフは「故郷」や「母」などと同じくらいには寺山作品にありふれたモチーフだけれども、晩年の作ということも考えると「父」にも単なる対象として以上に複雑なニュアンスがこもってくるのかなという気がする。同じく『月蝕書簡』には

地の果てに燃ゆる竃をたずねつつ父ともなれぬわが冬の旅

というような歌も収録されているし、「父といて~」にも同じく「父」へと投影される部分があるのかもしれない。


 「父といて父はるかなり」というのは実体としての距離と心理的な距離とのギャップがあるということなんだろう。「父」がそこにいるはずなのに虚ろで遠い存在に感じられる瞬間、「父」という強固であるべき概念がぐらつくような一瞬というのは、(子)の側から見るとわりと普遍的な主題だし、ともすると寺山修司らしくないような感じもする。人が育っていく過程のどこかで、親というのが絶対的な存在から相対的な存在へと変わっていく、その過渡期の光景なのかもしれない。
 その実体があっても存在が虚ろな「父」に、「テレビに映る無人飛行機」が重ねられている。「テレビに映る」「無人」というのは二重の距離感で、そこに見えるのに触れないこと、人間が不在、あるいは枠外のどこか遠くに存在していること、というような感覚だろうか。また、この「テレビに映る無人飛行機」というモチーフ自体がどことなく70年代的で、いわゆる「うたのわかれ」以前との世相的な意味での違いが反映されているのかもしれない。
 ただ、ちょっとよくわからないのが、「春の夜の」という時候を限定する表現が全然歌の中で生きていないような気がするところだ。「春の夜の~」がかかるのはテレビ(の中の映像)だから、それによって無人飛行機のいる空間における時候が決定するわけではないし、逆にいつの季節のテレビであろうが、そこに映し出される無人飛行機の映像に違いが生じるわけでもない。だからこの繋ぎの部分だけ歌の中でぽっかり浮いてしまっていて、不思議な感じがする。何かこの部分に元ネタがあるのか、もしくはある種の時事ネタ的な要素としての必然性があったのか、知っている人がいたら教えてください。


 そういえば「実体としての距離と心理的な距離とのギャップ」といえば紀野恵の「不逢恋逢恋逢不逢恋~」というあれもそうで、「逢不逢恋(あふてあはぬこひ)」というのは字面通りに受け取るとやっぱりそういう、「実体としてそこにいるのに心理的な距離が遠い」ということだし、身も蓋もない話をすると、こういう普遍的な抒情をどういうふうに料理するかみたいなところに、短歌のすごい人のすごい部分があるんだろうというような気がする。


寺山修司未発表歌集 月蝕書簡

寺山修司未発表歌集 月蝕書簡

いつか誰かに話したことの焼き直し

 世の中には類友の法則とかいうのがあって、それはインターネットでも例外じゃないどころかインターネットではむしろ加速されるせいで、社会生活を営むのにに何らかの問題がある(自称)人とばかり知り合って交流を深めていってるブログ5年目ツイッター4年目の現状があるのだけど、そうするとだんだんと、いわゆる「コミュ障」の類型が、自分のそれも含めてわかってきたような気がする。


 もう少し具体的に言うと、「コミュニケーション能力」とかいう用語には2つのレイヤーがあって、それを混同してしまうと全般的な能力の低い人は社会生活を営めないスパイラルに陥ってしまうんじゃないかみたいなことだ。「全般的に能力の低い人」ってかなり酷い言い方な気がするけど、少なくとも専門家でもないのにときとうな病名とか障碍を当てはめてどうこう言うよりかはましなんじゃないかと思う。
 単純労働が駆逐され知的労働と感情労働だけが残されつつある現代社会の中にあって、「コミュニケーション能力」とかいうけったいな概念は人間が社会的に生存していくための必須の力とされているわけだけど、この「コミュニケーション能力」にはおそらく2つの側面があって、これがときに無自覚に、ときには意図的に混同されてるせいでいらぬ苦しみを抱いている人って多いのではないか。その2つの側面というのは、

① 情報を適切に伝達する能力

② 相手に好感を持たれる能力

のふたつで、これらは本来全く別の技能であるはずだ。
 おそらく定型発達の人はナチュラルに双方をうまいこと備えているせいで、このふたつの異なった能力のことを無自覚に混同して語ったり求めてたりしてしまうのだと思うのだけど、②を備えていない、原理的にほとんど備えることのできない人が②を求め続けて空回りして、結果的に①さえもうまくいかなくなってしまうみたいなことがよくあるのではないかと思う。②の影を求める過程で自分への失望を繰り返して①を遂行するために必要な最低限の自尊心みたいなもの(これはもっとうまい言い方がある気がする)を失くしてしまうみたいな、そういう負のスパイラルが全般的に能力の低い人界隈にわりと蔓延している気がする。
 異論はあると思うけど、僕の考えでは②は社会生活を営む上で必須の能力ではない。少なくとも①よりははるかに重要性は低いはずだ。むろん、①の能力も、界隈の人にとって獲得することが容易い能力では決してないのだけど、②よりはまだ訓練によってどうこうなる部類だと思う。我々は、生き残るために②を捨てて①を取りに行くべきなのだ。
 例えば①の中には「不文律を理解する」とか「ジェスチャーを読み取る」みたいな力も含まれているのだけど、別にわからないことは「今のそれ、わかりません」と言ってしまえばいいのだ。結果的にそれできちんと情報をやりとりできるなら、それでいい。それによって多少疎まれようとも知ったことではない。「②を捨てて①を取りに行く」というのはそういうことだ。コミュニケーションによって相手に好感をもたれることへの期待を放棄することによって、皮肉にもコミュニケーション自体は格段に楽になる。それはおそらく今まで②のほうに脳みその、ただでさえ限られているリソースの大半を割いてしまっていたからなのではないかと思う。


 べつに人間は、好かれなくても、嫌われようとも生きていける。たとえそれによって周囲に嫌われようとも、情報伝達の連関の中に加わることができさえすれば、社会的に生きていくことが可能で、社会的に生きていくことによってお金が得られるし、お金によって尊厳ある生を生きることも可能になると思う。もちろん②を欠いていることによって付きまとう問題、例えば友達ができないとかそういう人生の問題は温存されたままなのだけど、少なくとも読めない「空気」を読もうとしてずっと空回りするよりはだいぶましなんじゃないかと思う。言わば、「空気を読めない」から「空気を読まない」へのシフトだ。
 見えないものを見ようとしたり、できないことをやろうとしても、人間は幸せになれないんじゃないか。少なくともできもしないことに固執して終わる人生なんてあまりにも無駄すぎる。
 
 

抑圧の光景のこと

 最近これの編集作業をぼつぼつと進めていて、インターネットの素人(僕もだけれど)のひとの短歌を、今までにない量とペースで読んでいるのだけど、そういう作業をしていると、短歌って一体何なのかよくわからなくなってくる。いや、もともとわかってなんかいなかったのだけど、それに深く直面せざるを得なくなってしまったのだと思う。


 短歌って何だろう。最大公約数的なことを言えば、それはただの詩型であって、それ以上でも以下*1でもないだろう。僕も基本的にはこの意見に賛成で、5・7・5・7・7という韻律に、これがひとつの定められた詩型であるという以上か以下の何かを誰かが見出しているとすれば、それは間違いなく一種の幻想にすぎないのだと思う。
 にも関わらず、多くの人は何もないはずのところに、関連のないものどうしを勝手に頭で繋ぎ合わせて、余計な文脈や意図や価値を見出してしまいがちで、おそらく僕も例外ではないはずなのだ。また、その幻想の個々人の中での枠組みが、歌人の個性であったりもするんだろう。ただ、これが初心者の場合になると、自分の抱いている幻想を自覚できていないぶん、それが露骨に、コントロールされずに出てきてしまうのかもしれない。
 何人ものひとの詠んだ短歌に触れて、各人ともに同じ詩型にさまざまな幻想を抱いていることが見えてきて、それは当然面白いことでもあるのだけれど、じゃあ自分はどうなんだ、短歌という詩型に3年という長いとも短いとも言い難い時間をかけて、いったいどんな幻想を観てきたのだろうという問いがどうしてももたげてくる。


 はっきり言って、僕はこの問いを今までずっと、ありとあらゆる手を使って避けてきた。あえていろいろな人の歌風を摸倣してみたり、文語と口語のあいだを行ったり来たりしてみたり、とにかく自分の短歌に自分の個性のようなものが出てきてしまうのを(それが成功していたかは別にして)徹底的に避けてきた。叙情を自分の感情にすることを避けてきたし、逆に自分の感情でさえ無ければ何でもいいとすら思っていて、そしてそれは現時点でもそうだ。
 それはいわゆる<私>に関すること*2でもあるのだけれど、とにかく僕は、僕の短歌を「僕自身」の居ない、文字列のどこをめくっても表出してこないような世界にしたいと望んでいて、あるいは、短歌という詩型には、そういう世界を創作することが可能なのではないかという期待があって、それが今日まで僕をこの詩型に執着させているのだと思う。そういう意味では、たぶんこの期待こそが、僕にとっての裏返しの幻想なのだ。


 おそらくこの考えは多くの人の賛同を得ないと思うのだけど、短歌という詩型は、感情や個性を抑圧する装置として機能しうるのではないかと思う。抑圧された光景、没個性的に世界を切り取る窓や額縁のようなものとして、僕は短歌を捉えていることが多いと思う。
 どうして賛同を得られないのかというと、それはたぶん、多くの詠み手にとってこの詩型は、作者の感情や個性を「増幅」あるいは「変換」させる装置であると捉えられているように感じるからだ。特に口語短歌の領域において、この「増幅」への信仰が顕著であるように思う。ある感情やそれに類するものを、短歌という詩型に投げ込むと、それが「増幅」ないし「変換」される、そういうブラックボックスのような装置として、捉えられているのではないか。
 「変換」はともかくとして、「増幅」と「抑圧」はそれぞれ全く逆の概念であり、それらはまったく逆の働きをする装置と言っていい。だから僕はたぶん、特に「増幅」を期待している人とは全く逆の見方や感じ方を、短歌についてしているはずだ。そもそも僕は、短歌を感性のブラックボックスにはしたくない。


 個性を抑圧するのは様式であり文法だ。あるいはその先に様式美の世界のことを見ているのかもしれない。短歌はそもそも定型詩で、その中でことばは様式や文法によって有形無形の制約を受けている。しかしおそらく制約がことばを「増幅」させも「抑圧」しもするのだけれど、どちらへ作用させるにせよ、そこにあるのは明確な方法論だったり様式であってほしいと切に思う。
 

*1:たとえば定型から極端に逸脱して、そのことに価値や意義を見出しているような人もいるけれど、そういう場合は「以下」に類するんじゃないかと思う。

*2:前にhttp://kifusha.hatenablog.com/entry/2012/04/22/173022で詳しく述べました

定型詩と「説明的」であるということについて。

 このブログのサブタイトルが「抒情の方法論」であったことをふいに思い出したので、そういう話をしたいと思う。


 この前とある人の短歌についてツイッター上で少々言及をしたのだけれど、そこで何の前置きもなく「説明的」という言葉で言い表してしまったのを少し反省している。もう少し前の段階からきちんと伝えないと、言わんとしていることが伝わらないのではないかと思うし、実際、言われたその人は頭ごなしによくわからない言い方で切り捨てられたとしか感じていないと思う。だから「説明的」であるということはどういうことなのか、さらに言えば「説明的」であることの何がダメなのか、どうしてそれがそこまでひどく糾弾されるものなのか、そういうことをちゃんと言わないといけないし、自分の中でもちゃんと筋道を立てておきたい。


海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり


 説明を長々とするよりかは具体例を出したほうがいいと思う。これは寺山修司という有名な人の有名な歌だけれど、この歌の優れている点、というか寺山修司という歌人の特徴的な点、称賛されもして、同時に悪しざまにも言われる点というのはやはりこの、過剰なまでの物語性や、極端なほどの演技性だろう。「海って一体どのくらい広いの?」と尋ねる少女の前で、男の子(われ)はばっと大げさに両手を拡げて見せて、「このくらいさ!」なんて言うのだろう。例えばそういうキザで鮮烈なひとつのシーンが、読み手の中に立ち上がってくる。
 ともあれ、この歌の内容に関する解釈や鑑賞はひとまず隅に置いておいて、ここで注目してほしいのは、この歌の中には、端的な事実関係しか詠みこまれていないということだ。たとえば上に述べた「海って一体どのくらい広いの?」「このくらいさ!」のような科白などは詠みこまれていない。また、「両手をひろげていたり」という静止したひとつの状態を詠んではいるものの、ばっと手を拡げたとか、わざとらしくとか勿体ぶってだとか、動きや時間の流れの中から読み取れるような情報は一切省かれているのだ。この短歌はいわば一枚の静止画のようなもので、にも拘らずそこからは動的で抒情的なシーンが浮かびあがってくる。
 たとえば、上に僕が書いたシーンのイメージが先に詠み手の中にあって、それをいわば逆再生して短歌を詠もうとするとき、こうした言葉の選び方ができるかどうかというのが、「説明的」であるかそうでないかということにつながってくる。ここで、「海って一体どのくらい広いの?」「このくらいさ!」のような科白をそのまま定型の中に持ち込んでみたり、腕を「ばっ」と、「思いっきり」拡げたとか詠みこんだりするのは、はっきり言ってあまり巧いとは言えなくて、なぜならそうした言葉の選び方は非常に「説明的」だからだ。


 そろそろ本題に入ろう。「説明的」というのは、つまるところ31音の定型詩の中に、詠み手が表現したい情景や心情などをそのまますべて詰め込もうとしてしまうことなのだ。
 多くの初心者の人にとって、31音というのは非常に狭く感じられるだろうし(そしてそれは実際に狭い)、57577の定型というのは非常に窮屈で邪魔なものに感じられるのだろう。それはもちろん自分もそうだったからというのもあるれども、やはりまだ言葉の取捨選択をする技能が身についていないからなのだろうと感じる。また、詠み手自身の「読む」能力が拙いために、読み手(誰だって無意識に自分と同レベルの読み手を想定するものだろう)が、きちんと狭い定型の枠の中だけで自分の表現したいものを読み取れるかどうかが不安で、その結果ある種のサービス精神のようなものを発揮してしまうからという理由もあるかもしれない。ともあれ、私は初心者だとのたまう人の詠む短歌のほとんど全部が、びっくりするくらい「説明的」なのだ。


 「説明的」なことの何が悪いんだ、「説明的」であることの良さみたいなものだってあるんじゃないかと言われるかもしれないが、あえてそれは否定したい。なぜなら短歌と言うのは定型詩で、57577という定型は、非常に窮屈で狭苦しいものだからだ。
 31音と言うのはほんとうに短いし狭い。ブログだったらこんなにも長々とどうでもいいことを書き連ねることができるけれども、短歌はそうではない。音や拍という限りある資源を少しでも有効活用しないと、短歌と言う媒体で「表現」なんてできっこない。できたとしてもそれは薄っぺらでスカスカなものにしかなりえない。だから短歌の定型の中で、「言いたいこと」「伝えたいこと」の説明なんかに終始している場合ではないのだ。
 じゃあどうすればいいんだというと、定型と言う枠の外、いわば「余白」の部分に目を向けることが重要なのだと思う。この「余白」の広さはまさに無限大で、この余白を広く使うことができればできるほど、表現の幅も当然ぐんと広がるし、そこまできてようやく短歌は「表現」のための媒体たりうるのではないかとすら思う。上に引用した歌はまさにその「余白」をあざやかに使いこなしている好例だろう。定型の枠の中には静止画的な叙景だけを描いて、その「余白」に、背景的なさまざまな物語や抒情が複合的に浮かび上がるように設えられている。


 とはいえ、いきなりこんな高度なことを実践に移すことは難しいだろうと思う(僕もこんなのは無理だ)ので、もう少し実践的な方面に踏み込んだ話をして終わりにしたい。
 叙事詩と叙情詩、あるいは叙事と叙情という言葉があるけれども、多くの人が詩を書くとき、叙情(心情、思いについて述べ表わすこと)の方向ばかりを見てしまう。それをほんの少しでいいので、叙事(事実や事件を、ありのままに述べ記すこと)や叙景(景色を目に映ったとおりに述べ記すこと)のほうにも振り向けてほしい。最初は退屈に感じるかもしれないけれども、叙事詩と叙情詩は決して二項対立する類のものではないどころか、上に述べたように、叙事によって叙情をより強く深く鮮烈に表現することも可能なのだ。
 また、これは僕がなんとなく感じていることなのだけれど、叙事が叙情を帯びることは多々あるけれども、叙情が叙事を帯びる、ということはおそらくありえない。だから、叙情というのは実は、常に叙事の外側に拡がっている、気体のようなものなのではないかと思う。とすると、気体だけを狭い枠の中に詰め込んでみても、スカスカのぺらっぺらであるように感じられてしまうのはむしろ当然なのではないかと思う。やはり、気体を集めるための、宇宙空間に浮かぶ惑星のような物質的な核としての叙事の存在があってこそ、より密度の高い叙情が描けるのではないか。とにかく、枠の中に叙情をいっぱいに詰め込もうとする人が多いけれども、実は外側の「余白」こそが叙情の主たる領分なのだ。
 だから、それが「言いたいこと」「伝えたいこと」であればあるほど、定型の枠の中には書き込まない方がいいし、書き込まずになおかつそれを「余白」にうまくまとわせるためにはどうすればいいか、というような言葉やモチーフの取捨選択の方法を習得することが、「説明的」であることを脱するための具体的な第一歩なのではないかと思う。

誤配と可能性

 稀風社の今後をめぐるカミハルさんとのお話については、ここで何か書いたり答えたり伝えたりとか、そういうことは特にやらないつもりで、別の機会にスカイプ通話とかでお話合いができればそれでいいかなと思う。少なくとも、全世界というのはさすがに大げさであるにしても、全日本語圏に対して公開する類の応酬ではないだろうと思う。いや、別に僕がこういう判断をすることに対して客観的な正しさなんて必要なくて、単に僕が自分の意見とか感情とかをオープンな状態で誰かにぶつけたりするのがすごく苦手で、恥ずかしくて、最初にそれをやったのはどっちだという話だけど、そういうことはなるべくクローズドな場でやりたいし、そこでの内容を公開するのもできればしたくない。そうしたほうがいいとか、そうあるべきとかそういう話ではなくて、単に僕がそうするのが嫌なのだ。


 ただ、それとは別に、上に挙げたカミハルさんの記事の中で、あの記事を読んだ人に対して、ちょっと誤解を解いておきたいなと思う点がひとつあったので、今回はそれについて書く。
 誤解を解いておきたいなと思う点というのは、ぼくのスタンスというか、志向を「不可能性」という言葉でカミハルさんが言い表していることで、これはちょっと、いや全然違うように僕には思われるというか、これについては何かコメントしておかないと、黙認したことになってしまうわけで、なんというかそれは癪だなと思った。


 おそらくカミハルさんは、ふたつのそれぞれ違った次元における「不可能性」を混同したまま同じ用語で語ってしまっている。それぞれをなんと呼べばいいのかよくわからないけど、仮に「モチーフとしての不可能性」、「表現態度としての不可能性」というふうに言い表しておけばいいかと思う。あるいは「テキストに帰属する不可能性」と「作者に帰属する不可能性」とも言いうるかもしれない。
 「モチーフとしての不可能性」というのは、僕の言葉ではこれは「どうしようもなさ」みたいなふうに捉えられるものなのだけど、確かに僕はある種の不毛さ、諦念、「どうしようもなさ」を詠んだり書いたり歌ったりしたい人間で、そういう意味では僕は「不可能性」の人間だろうと思う。「可能性」に対置される「不可能性」という言葉がそういったモチーフを言い表すのに最適なのかどうかは置いておくにしても*1、少なくとも大筋では解釈として間違っていないように感じる。


 もうひとつの「表現態度としての不可能性」、これに関しては自分でこういう用語を製造しておいて言うのも何だけれど、そもそも語義矛盾があるように思う。表現行為と呼ばれうるものも含めて、実現可能なおよそすべての行為は「可能」の範疇に入るわけで、その「可能性」の範囲はすべて事後的に定義される。だから、これはあたりまえのことだけれど、実現した行為はすべて「可能」だったわけで、「不可能」な行為というものを未来方向に志向することもまた原理的に困難だ。だからそもそも「表現態度としての不可能性」というスタンスを取ることは不可能なのだ。僕だって短歌という枠組みを通じて可能性の範囲内のことを実現したいと思っているし、それ以外のことはできないだろう。
 実を言うとカミハルさんも、元記事の中で表現行為の態度としての「不可能性」のほうには全く言及していない。端的に言うと、カミハルさんは自らの表現行為の態度が「可能なものとその実現」というものであるとしていて、それに対して僕の関心が「不可避な現実」に向けられていると言っている。
 それらふたつの断定は個別には間違っていないのかもしれないけれど、今まで述べてきたように「表現行為の態度」と「モチーフへの関心」はそれぞれまったく別の次元の概念であって、本来それらは比較したり対比したりするのが不可能なものだ。表現における「誰に」あるいは「どうやって」と、「何を」というのは全く無関係なものでもないにせよ、何か同一の物差しに当てはめて比較できるものでないのは明らかだ。元記事がなまじ一見もっともらしい文体と構成であるぶん、こういうくだらないレトリックを弄するのはやめてほしいと思う。


 そのうえで、一応僕の思う僕自身の表現態度のようなものについても考えてみたい。なぜこのような誤解が生じたかについてもそれに少なからず関係がありそうな気がする。
 上でも述べたように、僕は基本的に「可能性」の範囲内のことを実現したいと思っているし、それ以外のことは「不可能」(あたりまえだ)であるとも感じている。それについてはカミハルさんと同じだと思うし、ほんとうにびっくりするくらいあたりまえの話なのでこのことはもう書かない。一方でカミハルさんが僕との間で何らかの「方向性の違い」を感じているとするのであれば、それは当然可能性の範囲内におけるベクトルの向きの違いなのだろう。それについては確かに少なからず心当たりがある。


 カミハルさんの方向性というか表現態度は、基本的には「届くべき人に届けたい」というスタンスであって、その状態のことを仮に「適配」と呼びたい。ある特定の言葉、一首の短歌、あるいは一冊の本という郵便が、予め想定された宛名どおりの相手にきちんと届いている状態だ。これは「言葉」という概念が我々の生存上の必要に応じて誕生して以来ずっと、普遍的に「言葉」に課され続けてきた役割であって、正しさでもあると思う。ものすごく単純化すると、Aさんに向かって後ろから「Aさん!」と呼びかけて、Aさんがこっちを振り向くという一連のプロセスが、言葉における「適配」の構図なのだろう。これはどんなに文章が長くなっても、どんな媒体を介在させようとも、宛先の人間がどんなに増えようとも、それが言葉である限り変わらない正しさの構図であるはずだ。


 しかし一方で僕は、上に述べたような「適配」の構図の、ある種の予定調和のような部分を好きではない。「適配」のプロセスを通じて人間同士の関係性が変化したりすることは無いだろうし、関係性を変えようという意思が無いというのは、世界を拡げる気が無いということでもあるように思われる。新たな出会いを拒絶しているし、衝撃を避けている。僕ははっきり言ってそんな韻文を読みたくない。他者を傷つけまいとして詩を紡ぐ意味がわからない。ほんとうにわからない。
 また、そういう優しさのようなものが、裏側では「そうでない人たち」をきわめて残酷なやり口で排除していることも知っている。


 それに対して僕が実現しようとしている状態のことを仮に「適配」に対する「誤配」としたい。「誤配」というのは文字通り宛先通りに言葉が届いていない状態だ。もちろんこれもまた「可能性」の範疇にあって、日常生活の中でもあたりまえのように言葉や情報の「誤配」は発生している*2。ただ、それが広く望まれていたかどうかの違いがあるに過ぎない。例えば8本の記事が掲載されている一冊の雑誌があったとして、読者にとって読みたいと思っていた記事が8本中2本であったとすれば、残りの6本の記事はその読者に対して「誤配」されたということになるだろう。もちろんその残り6本の記事も、それぞれ別の読者からは求められて存在しているとするならば、その別の読者の目に触れるとき、それは「適配」状態になる。このように「誤配」と「適配」の関係は固定的でなくめまぐるしく流動しうるものでもある。また、不特定多数に向けてばら撒かれる怪文書などのように、ほんの僅かな届くべき宛先へ「適配」させるべく、数撃ちゃ当たる式に膨大な数の「誤配」を起こしたりする例もある。
 要するに、僕は自分の短歌に触れた人のことを傷つけたい。見たくないものを突き付けたいし、知りたくなかったことを知らせたい。そのためにはモチーフに共感しない人達まで「誤配」される必要があるし、そのための方法はちゃんと考えてゆきたい。


 これはやや余談になるものの、「誤配」を引き起こすための有効な手段として、これまた独自の用語になってしまうのだけど、「混載」という手法があると思う。わかりやすいのは上に述べた雑誌の例だ。僕にとって稀風社というのはまず第一には楽しい遊びであったわけだけど、同時にそうした「誤配」を期待できるものにもなり得るかもしれないと思っていた。カミハルさんの短歌を読みたいはず人が、同時に僕の短歌にも触れるのであるとするならば、それは既に「誤配」で、そのとき世界は痛みとともに拡張されている。これは混載されているもの同士のベクトルが異なる方向を向いていればいるほど有効なはずだ。少なくとも理論上は。
 だから、悪い言葉でいえば僕はカミハルさんを利用しようとしていたとも言えるわけで、そのあたりの誹りは免れない気がする。しかし同時に、稀風社は解散するどころかもっと広がっていけばいいとすら思っているし、解散したとしてもそういうやり方はひとつの有効な手段として今後も見据えてゆきたいと思っている。



*1:ここで僕が留保をするのは、「どうしもうもなさ」の中には、「可能性」の範疇にあるもの、例えば「できてしまうこと」のようなタイプのものも含まれていて、この場合「できてしまう」の部分よりも「できてしまう」ことのほうが重要で、「可能かどうか」という軸は必ずしも抒情の本質を得てはいないのではないかという疑念が残るから。

*2:ツイッターとかの炎上なんて「誤配」の最たるものだろう。