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抒情の方法論

NoFuture,NoFutureと口ずさむ白いベースを売りにゆく道 (短歌の感想 その2)

NoFuture,NoFutureと口ずさむ白いベースを売りにゆく道
遠野サンフェイス『ビューティフルカーム』より

 遠野サンフェイスさんは主にツイッターtmblrなどで短歌を発表されていた(現在は休止中?)方で、私家版の写真歌集『ビューティフルカーム』は、単語カードの形態で2011年6月の文学フリマで頒布されていたもの。さらに作者の背景を遡れば下品短歌とかそういう文脈がいろいろ出て来るがここではその説明は省きたい。


 上に引用した歌は青春の歌だ。
 まず際立つのは「NoFuture,NoFuture」の引用の巧さで、これはむろんSEX PISTOLSの「No Future」なのだけれど、短歌全体の中で引用された歌が有機的に機能していてとても綺麗だと思う。さらにいうとこの「白いベース」はおそらくシド・ヴィシャスモデルのフェンダー・プレシジョンベースで、たぶんそんなに高いわけでもない、どこにでも売っているような楽器だ。そういうところまで含めて、とても端正で無駄のない、一首全体の中で強い必然性を持ち得ている引用だと言えるのではないか。その「白いベース」を売りに行く。要するにありふれた青春の、ありふれた終幕だ。
 けれども、「No Future」という詞とは裏腹に、青春という物語が幕を下ろしても、その先には茫漠とした人生の余白が続いていく。「白いベースを売りに行く道」はその茫漠とした余白へと連なる道で、作中主体はその終わりのない平坦な未来を目視しながらも、そこへと向かってただぼんやりと歩んでゆくしかない。そこには前向きな覚悟というよりも、受動的な諦念を強く感じる。口ずさまれる「NoFuture~」もまた、どこか物悲しい風景を象っている。

ねえ僕は夕映えによく似合うこの曲をいつまで歌うのでしょう
遠野サンフェイス『ビューティフルカーム』より

 思うに、青春というのはきっと、それを自覚した瞬間に終わってしまうようなものなんだろう。だからそこには常に特権性があって、ノスタルジーがある。