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抒情の方法論

ブログを書くまで寝ない実験 その2

 誰がなんと言おうとも、やっぱり詩と言うのは豊かさの産物なんだろうと僕は思っていて、かねがねそういうことを言い続けている。詩が豊かさの産物だと言うのは、まず第一に詩を作る側における現実としてあるのだろうけど、それ以上に、詩を享受する側にとってみても、詩というのは生存に切実に必要不可欠な栄養素などではなくて、必要なものがすべて満たされてはじめて受容されうるものなのだろうと思う。例えば恋とか青春とかそういうものが人を「詩人」にするみたいな話があるけれど、それは単に、「恋」とか「青春」みたいな概念自体が豊かさの産物であるということを意味しているだけだろう。


 まあでも、これに限ったことではないけれど、世にあふれる大体の発想とか考えは、すでに他の人達や昔の人たちによって言い尽くされている。だからそんな中であえて自分が文章を書く意味なんてないだろと僕は思ってしまうし、ブログだって続かない。「詩を作る側」における似たような話というかほとんど同じことを言っている話としては、わりと最近読んだ本*1の中で、石川不二子という歌人の文章が引用されていて、だからこれは孫引きになるわけだけど、曰く、

生活即歌、と誰が言おうと、歌はやはり余裕の産物である。生きることに追われていたら歌などできる筈はない。「けもの」は歌なんか作らない。生きるためだけに必死で生きている、そういう姿を純粋で美しい、と思うのもやはりよけいな思い込みなので、実際は陰惨というに近い。


引用元:『わが歌の秘密』(1979/村永大和編/不識書院)

という感じだ。石川不二子というひとの経歴はなかなかに異色で、詳細は知りたければググるなりなんなりしていただきたいのだけど、そりゃあこうも言いたくなるだろうなあという感じがする。この人のこの経歴に比べれば、僕なんかはまだよっぽど余裕のあるほうであるのに違いないと思う。


 また、石川不二子のこの文章があぶりだしているのは、短歌が余剰の産物に過ぎないということ以上に、「必死で生きている」というような物語を欲して、見出して、また紡いでいるのはいつだって余裕のある側の人間なんじゃないかという、ある種の倒錯を帯びた構図なのではないかというような気もする。黒人奴隷たちの労働歌であったところのブルースを発見して、そこに表現価値を見出して消費していったのは白人たちだった、とでも言うような、ある種の豊かさをめぐる不均衡が浮かび上がる。


 生活にいっぱいいっぱいで余裕がなくなると、かなり早い段階で切り捨てられるのが、「私」について慮ることなのではないかと思う。「私」というのは他者の他者性についてと言ってもいいかもしれないし、あるいはそのまま裏返して自己の唯一性についてとも言いうるだろう。簡単に言うと自分や他人がそれぞれ一回きりの生を生きていて、そしてみんな死ぬみたいな、そういうことについて考えることだ。朝の6時に家を出て夜の10時に帰ってきてそのまま倒れこむように寝るみたいな生活をしていると、そういうことについて考えることはたぶんできなくなる。


 詩の中でも、特に「私」と密接に関連づいてしまうことの多い短歌という詩形の場合は、「私」について考えるだけの余裕のがある人同士の間でしか流通しえないものである場合が多いのかもしれない。そういった詩の流通範囲というのは、社会の豊かさとか景気の良さとかにものすごくわかりやすく左右されるものだろうし、内外の豊かさに依存したその範囲を脱しようと思えば、詩は「私」を捨てなければならないはずだ。しかし、そうした「私」を捨てた詩というのが、詩であることを保ちうるのかどうか、僕にはうまくイメージできない。けれどもそうした豊かさとか脆弱な近代的自意識のようなものに依存した表現というのにはあまり価値の与えられない世の中にあって、おまえの「私」なんか邪魔なだけで興味ないんだよ、みたいなことを言われたときのための対策を、なんとか講じないといけない気がする。


 先週末に中野のタコシェに稀風社の歌集の委託販売を依頼しに行った(詳細)のだけど、やっぱり「正直歌集は全然売れないですよ」みたいなことを言われた*2。歌集が売れないことはよく知っているつもりだ。商業出版されているものでさえ、そのほとんど全てがそのへんの同人誌よりもはるかに少ない部数しか出ていない。届くべきところに届けばそれでいいと言うのかもしれないけど、何かを表現する人がそんなことを言ってしまっては、どうなんだろう。


 あたりまえだけれど絶望的なこととして、短歌を読むような人は短歌を好きなような人だけ、ということがあって、それは余裕云々とはまた別次元の問題なのだけど、インターネットや通販に言葉を載せれば言葉は空間の隔たりを越えてどこまでも届く的な物言いにはどこか白々しさを感じてしまう。空間や時間なんかよりも絶望的な隔たりは世の中にはもっといくらもある。

*1:この本自体はそんなに読む価値のあるものではなかった

*2:正直で好感が持てる